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東京高等裁判所 平成7年(う)1030号 判決 1996年1月29日

本籍

千葉県船橋市海神五丁目五二四番地

住居

同県同市海神三丁目二三番二三号

不動産業

高関昭二

昭和一一年二月一一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成七年三月三〇日千葉地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官五島幸雄出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中二〇〇日を原判決の懲役刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人木幡尊及び同小野薫連名の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

第一論旨の概要

論旨は、要するに、原判示の昭和六二年及び昭和六三年分の被告人の各所得額(一部税種の区分等を含む)を争う事実誤認の主張であり、原判決は、(a)不動産取引による所得につき、昭和六二年分は合計三億六三七一万五三三二円、昭和六三年分は合計六億九七四〇万一〇〇〇円を各過大に認定し、(b)手数料収入につき、昭和六二年分の実際額は一二〇〇万円であるのに一八四二万円と過大に認定し、さらに、昭和六三年分の実際額は三〇〇〇万円の損失であるのに一億円の収入があったと過大に認定し、(c)貸金による受取利息収入につき、貸金額を水増した分や架空の貸付分があるのに各年分について過大な受取利息額を認定しており、いずれも判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるというのである。

第二論旨に対する判断

そこで調査するに、原判決挙示の関係証拠によれば、原判示の各所得額を優に肯認することができ、原判決に所論指摘の事実の誤認があるとは認められない。以下、所論にかんがみ、順次説明を加えることとする。

一  被告人の捜査段階における自白等の信用性について

本件では、被告人が捜査段階において犯行を全面的に認めた詳細な自白(被告人の検察官に対する供述調書三七通)及びこれに符合する関係者の供述があり、原判決の認定は主にこれに依拠していると認められるところ、所論はその各信用性を強く争っており、これが最も重要な争点であると考えられるので、まず、この点について検討する。

1  原判決挙示の関係証拠によれば、本件所得税法違反の事実に関する被告人の供述の推移及び調査・捜査の経緯の概要は、以下のとおりであると認められる。

(1) 国税当局は、昭和六三年一二月八日、本件のうち昭和六二年分の犯則嫌疑事件について強制調査に着手し、同月一五日から、木村、守屋両査察官による被告人に対する質問調査を開始した。被告人は、同日の質問調査に際し、同年中の不動産売買益に関し、千葉県市川市南八幡四丁目一九三番一〇、一一、一二、一五所在の土地建物(以下「昭和六二年南八幡四丁目物件」という)の取引に有限会社興亜産業(以下「興亜産業」という)を名目上の売買当事者として介在させ、これを被告人のいわゆるダミーとして用いることにより多額の所得の秘匿を図ったことを認め、次いで、平成元年四月一二日の質問調査に際しても、同県船橋市西船二丁目五二二番一、二、四、五所在の土地(以下「西船物件」という)及び同県市川市大和田四丁目一四二二番一、三七、三八所在の土地建物(以下「大和田物件」という)の各取引に正和建設株式会社(以下「正和建設」という)を同様の目的でダミーとして用いたことを認め、その各経緯やそれぞれの不動産取引の具体的内容及びほ脱所得の使途等について詳細な自白をした。一方、貸金による利息収入については、被告人は、同年六月ころまでは、不正の事実は認めていたものの、昭和六二年度における貸付先が一六か所、貸付金の合計額が約四億八〇〇〇万円である旨の、その後の供述に比べて貸付の規模を大きく下回る内容の供述をしていた。

(2) 平成元年七月、前記の木村、守屋両査察官に代わって高松謙悟査察官(以下「高松」という)が調査を担当することとなった。高松は、調査着手日に押収されていたメモ書き四枚(当庁平成七年押第二八七号の三・甲一七六号証)を被告人に示して昭和六二年分の貸金関係の質問調査を実施したが、同メモ書きは、被告人から貸金の管理を委ねられていた古谷勇(以下「古谷」という)が、被告人の指示に基づき、昭和六三年八月の時点における、借主から手形小切手を差し入れさせて貸付を実行した合計約一二億八八〇〇万円につき、各手形小切手の振出人、額面及び期日等の明細を記載したものであった(以下「古谷メモ」という)。被告人は、平成元年一二月一二日と翌一三日、高松の求めに応じて、古谷メモに記載された手形小切手の一部の現物や借用証書を任意に提出するに至った(甲一一九ないし一二二号証)。高松は、古谷メモ記載の大口の貸付先三名について、本人らに直接貸付の有無や貸付金額、利率等の確認をしたほか、被告人の貸付の仲介をしていた中野哲夫に対して同人が関与した貸付の詳細を調査し、同人らに申述書を作成させるとともに、同人らの各質問てん末書を作成した。また、その他の貸付先についても文書による照会等を実施し、その回答のほか、手形小切手の決済に関する金融機関に対する調査結果等に基づいて、平成二年一月五日、被告人に申述書二通(乙六三、六四号証)を作成させ、さらに、これを再検討させて正確を期し、最終的な申述書二通(乙六五、六六号証)を作成させた。その最終的な供述は、昭和六二年分の貸付先が四〇か所、同年末の貸付残高が約一九億円、受取利息額が合計約一億六八七〇万円というものであり、高松は、これを基に昭和六二年分の利息収入額を確定した。その後、平成二年八月八日、千葉地方検察庁に対し、同年分の犯則嫌疑事件について告発がされた。

(3) 被告人は、平成三年一一月二六日、昭和六二年分の所得税法違反の被疑事実により通常逮捕されて検察官による取調べを受け、不動産取引についてはそれまでの自白を維持したほか、貸金取引については、前記の告発後に押収された新たな資料に基づいて、田久保一真、川上博、小川三郎及び横田巧に対する貸付の事実を認めたり、貸付額、利率ないしは貸付時期等を変更する内容の供述をした。その結果、受取利息額を調査段階よりも約一億二六六〇万円増大させて合計約二億九五六〇万円であるとし、これは実際の収入額よりも低い確実な金額である旨を付言した(乙三〇号証・原審記録第二一冊三三三五丁裏)。

(4) 平成三年一二月一七日、昭和六二年分の所得税法違反の事実による公訴提起がされた後、同月一九日、昭和六三年分の犯則嫌疑事件の調査が開始され、高松が引き続きこれを担当して、被告人に対する質問調査等が実施された。被告人は、高松による質問調査の当初から、同年中の不動産売買益に関し、千葉県市川市南八幡四丁目一九三番一四号所在の土地建物(以下「昭和六三年南八幡四丁目物件」という)の取引に古谷を被告人のダミーとして介在させ、さらに、同市南八幡三丁目一九六番八号所在の土地建物(以下「南八幡三丁目物件」という)、千葉市栄町三二番二所在の土地建物(以下「栄町物件」という)、同県船橋市飯山満二丁目三六〇番四ないし一三所在の土地(以下「飯山満物件」という)、同県印旛郡八街町八街字大地に一三二番六、一〇所在の土地(以下「八街物件」という)及び千葉市幕張五丁目三九四番五、六、一一所在の土地(以下「幕張物件」という)の各取引に株式会社トーエーリアルエステート(以下「トーエーリアルエステート」という)を同様のダミーとして介在させることにより、多額の所得を秘匿したことを認め、その各経緯やそれぞれの不動産取引の具体的内容及びほ脱所得の使途等について詳細な自白をした。一方、同年中の貸金関係については、古谷が備忘のために貸付の状況を記載していた手帳(前同押号の五・甲一八一号証)が平成三年一一月二六日に押収され、同手帳には、昭和六三年三月から八月分の被告人の貸付について、日付、相手方、貸付金額、受取利息額等の詳細が判明する事項が記載されていた(以下「古谷手帳」という)ところ、高松は、古谷及び中野に同手帳のほか、手形小切手の決済に関する金融機関に対する調査結果、各貸付先への照会に対する回答、昭和六二年分に関する証拠類を示して、同人らに申述書を作成させ、これに基づいて被告人に申述書を作成させた。被告人は、結局、質問調査に対し、昭和六三年分の受取利息額の合計が約三億九六七〇万円である旨の原審検察官が主張する事実にほぼ沿う供述をし、その後の検察官による取調べに際してもこれを維持し、供述の基本的な部分に変遷や動揺は見られなかった。

2  以上に対し、所論は、被告人の自白は虚偽であると主張し、自白するに至った経緯に関し、大要、(a)昭和六二年分の調査を担当した木村、守屋両査察官から、同年中に被告人がした不動産取引に関し、興亜産業及び正和建設の両社を被告人のいわゆるダミーとして用いたことを認めれば、両社にその報酬として支払った分をすべて経費として認容するといわれたため、ダミーの意味が十分理解できないまま、内容虚偽の質問てん末書の作成に応じた、(b)その後新たに担当となった高松査察官から、調査に協力すれば、逮捕されたり、起訴されることはないし、昭和六三年分の所得を調査の対象としないなどと約束されたので、この一種の利益誘導にしたがって、昭和六二年分の不動産取引による利益金を被告人に集中させる供述をするとともに、同査察官が勝手に作成した内容虚偽の質問てん末書への署名押印に応じ、また、同査察官から貸付額の水増しを要求されてこれを承諾し、昭和六二年分の貸付のうち、小川三郎に対し二億円、大山三郎こと姜三鎬に対し二億六九〇〇万円、田久保一真に対し二億二〇〇〇万円をそれぞれ実際額よりも多く供述し、合計約七億円余りに上る貸付額の水増しなどをした、(c)平成三年一一月二六日に昭和六二年分の所得税ほ脱の被疑事実により逮捕されたが、平成三年一二月八日の被告人の長男の結婚式に出席し、また、クリスマスや正月を自宅で過ごしたいと考え、取調べ検察官から早期の釈放が可能であるかのような示唆をされたこともあり、一日でも早く釈放してもらうために、検察官の意向に迎合することとし、査察官が作成した質問てん末書の内容を土台とした虚偽の検察官調書への署名押印に応じたものである、などと主張している。

しかしながら、以下に述べるとおり、所論に符合する被告人の原審及び当審公判廷における各供述は到底信用することができない。

(1) 被告人が興亜産業及び正和建設のダミー性を明確に争うことを表明するに至ったのは、証拠調べが相当進捗した原審第二二回公判期日からであると認められるが、その弁解内容の重要性のほか、すでに原審第二回公判期日に提出した平成四年六月一一日付上申書において、取調べ済みの被告人らの各供述調書の信用性を争い、実質的に事実関係を争うに至っていたのに、興亜産業及び正和建設の各ダミー性については何ら触れることがなかったこと、原審第四、五回公判期日において被告人質問が実施された際にもこの点を主張することが可能であったのに主張していないことを併せ考えると、原審第二二回公判期日に至るまで明確な主張をしなかったのは甚だ不自然であって、従前の自供が真実であることを強く推認させるものというべきである。また、被告人は、前示のとおり、自己に対する質問調査の初日である昭和六三年一二月一五日付質問てん末書において、すでに、興亜産業が被告人のダミーであることを自白しており、同月二一日付質問てん末書にも興亜産業の横田巧にダミーに対する報酬として金員を支払った旨が記載されているのであって、査察官が調査の当初からそのような調書を作成しながら、興亜産業や正和建設に対してダミーの報酬として支払った金額をすべて経費として認めるなどと述べたというのは、不自然というべきである。

(2) 被告人は、捜査段階から弁護人を選任してその助言等を受けうる立場にあったのに、真実であれば極めて重要な高松査察官による利益誘導の事実を当時の弁護人には何ら訴えず、原審第一回公判期日を終えて保釈許可決定により保釈されてはじめて、それまでの弁護人を解任した上、新たに選任した弁護人に同事実を伝えたというのであるが、被告人が述べるこの間の経緯は極めて不自然というほかはなく、しかも、被告人から納得のできる説明はない。

(3) 高松査察官によって提示されたという利益誘導の内容は、逮捕も起訴もなく、昭和六三年分の所得の調査をしないというものであって、いずれも現実には履行されず、いわゆる反故にされたことになるのに、被告人は、約束違反が明確になった後においても、同査察官が真っ赤な顔をして自分に最敬礼をしたので何か手違いがあったのかと思っただけで、特に同査察官に対し、約束違反の点を難詰したり、不満を述べたりせず、引き続き素直に同査察官による昭和六三年分の調査を受けて自白を継続したというのであるが、この点も被告人の弁解を前提とすると、まったく理解し難いところである。

(4) 高松から貸付額の水増しを要求されたという点については、なるほど、調査担当者が高松に代わってから貸付額を大幅に増大させる供述がされているが、これは、前記認定のとおり、古谷メモのほか、手形小切手等の現物、銀行における決済の状況等の具体的かつ客観的な資料並びに各貸付先に対する反面調査や関係者の供述等に基づいて、貸付に関する調査が大いに進展したことに伴うものであることが明らかであり、ことさら「水増し」などの操作を必要とする事情はなかったと認められる。さらに、被告人は、調査段階において、昭和六二年分の貸金による利息収入について、一部事実を秘匿してほ脱額を少なくしようと画策していたことが認められるのであって、高松の言いなりになって供述していたと認めることはできない。

(5) 高松は、原審公判廷において、本件調査の経緯について詳細に述べるとともに、所論指摘の利益誘導や貸付額の水増しを要求した事実を明確に否定しているところ、同証言内容は客観的な被告人の供述経過とよく符合しているほか、不自然不合理な箇所は見当たらず、原審弁護人の反対尋問によっても何ら証言内容を動揺させていない。その信用性に疑問はないというべきである。

(6) 被告人は、昭和六二年分の所得税ほ脱の事実により逮捕、起訴されるとともに昭和六三年分の所得に関する調査が開始された後、取調べ検察官に対し、高松査察官から協力を要請されて虚偽のてん末書の作成に応じたことや同査察官による約束違反の点を説明したり、訴えたりした形跡は認められないのみならず、その後も自白を継続してこれを一部発展させており、その内容に後退や動揺は見られない。同様に、早期釈放を希求し、検察官からも早期釈放を示唆されたとの点についても、被告人が強調する長男の結婚式の期日、クリスマス及び正月が過ぎても自白の内容等に基本的な変化はなく、平成四年二月二八日付の最終的な検察官調書に至るまで統一的なまとまりを有すると認められるのであって、被告人が早期釈放に特に執着し、これを期待して検察官に迎合してことさら虚偽の自白をしたような形跡は見当たらない。また、その内容は、貸金関係について昭和六二年分の受取利息額を増大させているなど、質問てん末書の単なる上塗り調書とは認められず、検察官が新たな立場や視点で客観的な関係証拠に基づき詳細に取り調べたものであることが明らかである。

(7) 所論は、高松査察官の被告人に対する利益誘導については、被告人のほかにも、その場に同席してこれを聞いた者がおり、同事実の存在が裏付けられていると主張している。なるほど、原審証人浮谷範義、同横田巧、同横田かおり、同真鍋佳朗、同岡村龍男及び同古谷らの各証言中には所論に沿うと見られる部分があるが、被告人の逮捕や昭和六三年分の調査開始後に、各証人に対して行われた検察官調べに際して、被告人の逮捕等が約束違反であることなどを検察官や当時の被告人の弁護人らに訴えたり、各証人らの間で相談などをした形跡は認められず、この点は各証言内容を前提とすると不自然というほかはなく、その他、各証人と被告人との関係及び各証人の検察官調書の内容などに照らして、所論に沿う各原審証言は信用することができない。

結局、被告人の一連の自白の任意性に疑いを容れる余地はない。そして、被告人の検察官調書については、契約書や領収証等の多数の資料のほか、昭和六二年分の告発後に新たに押収された手形小切手、借用証書及び古谷手帳等の客観的資料を被告人に示してその説明を求め、不動産取引関係の点はもとより、貸付関係についても、具体的な記憶を喚起させつつ、詳細に供述されているのであって、前述の捜査及び供述の経緯に照らして、その信用性について疑いはなく、これに符合する関係者の供述も十分信用するに足りるものというべきである。

二  不動産取引による収入に関する具体的所論について

1  まず、所論は、前記の興亜産業、正和建設及び古谷が関与した前記の各取引につき、慣行上、当初から複数の者が取引に関与してそのグループ内の一人が便宜的に売渡名義人となり、得られた利益を各関与者に分配するという形態をとっていたもので、その総括的役割を被告人が演じていたに過ぎないから、同名義人になった興亜産業等は被告人のダミーではなく、さらに、トーエーリアルエステートが関与した前記の南八幡三丁目物件、栄町物件、飯山満物件、八街物件及び幕張物件の各取引についても、同社は被告人のダミーではなく、正当な売買当事者であり、しかも、被告人は、同社が当事者となってから後の取引に関与していないから、何ら利益を取得していないなどと主張している。

しかしながら、所論が指摘する共同取引の形態であったとの主張に沿う被告人の供述は、原審第二二回公判期日における被告人質問で初めてされたものであって、供述の経過自体に不自然さがある。また、原審証人横田巧及び同浮谷範義は、原審公判廷においても、捜査段階における供述を維持し、興亜産業ないしは正和建設がダミーとして取引に関与したに過ぎないことを明確に認める旨の証言をしており、一方、所論に沿う関係者の各原審証言については、ダミー性を肯定していたそれぞれの各検察官調書の内容を覆した合理的理由を説明しているとは認められず、これを直ちに信用することはできない。さらに、本件各不動産取引に際して、昭和六二年度における興亜産業及び正和建設のほか、昭和六三年度における古谷及びトーエーリアルエステートが、いずれも被告人の不動産売買益の発生を秘匿する目的でそのダミーの役割を果たしたもので、実質的にみて正当な売買当事者でないことは、前述のとおり信用性が認められる被告人の自白及び関係者の各供述のほか、興亜産業、正和建設及びトーエーリアルエステートがいずれも各取引に必要な資金力に乏しく、その関係者が各取引の交渉に実質的に関与した事実は認められず、単に各社の名義の使用を許諾したに過ぎないこと、古谷についても、不動産取引の実績はなく、被告人の使用人の立場にあったもので、今回売主と親しい間柄にあったことを見込まれて売主を説得するなどの仲介的な行動をしたに過ぎないこと、それぞれの取引の内容、必要な資金の出捐及び得られた利益の管理処分等を被告人が専断的に決定していることなどの客観的な取引の実態に照らして明らかというべきである。原判決の説示に誤りはなく、所論を採用することはできない。

2  次に、所論は、(a)昭和六二年南八幡四丁目物件の取引に関し、興亜産業の代表者横田巧に支払われた一億円は、同社に対する正当な立退料であり、仮に全額について認められないとしても、その一部を立退料として認容すべきである、(b)同物件の取引に関し、株式会社椿産業の代表者川下博に五〇〇〇万円、浮谷範義に三〇〇〇万円、真鍋佳朗に二〇〇〇万円の合計一億円を、西船物件の取引に関し、正和建設の代表者阿部勝に四〇〇〇万円を、大和田物件の取引に関し、右阿部に四四〇〇万円、浮谷範義に五〇〇〇万円、真鍋佳朗に二〇〇〇万円の合計一億一四〇〇万円を、昭和六三年南八幡四丁目物件の取引に関し、小澤徳子に二億六七〇〇万円、浮谷範義に一億円、株式会社椿産業に三〇〇〇万円の合計三億九七〇〇万円を、それぞれ取引によって得られた利益の分配金等として支払ったから、これらをいずれも経費として認容すべきである、などと原審弁論と同様の主張を繰り返し、これらを認めなかった原判決は事実を誤認したものであるとしている。

しかしながら、被告人の各質問てん末書及び検察官調書並びに関係者の各検察官調書等によれば、(a)、(b)の各所論について原判決が説示するところはいずれも正当であると認められ、そこに事実の誤認はなく、所論はすべて理由がない。

三  仲介手数料及び立退協力金収入に関する所論について

所論は、要するに、(a)原判決は、株式会社地域住建が行った不動産取引に関し、被告人が昭和六二年中に同社から合計一八四二万円の架空仲介手数料を受け取ったと認定しているが、その中から正和建設に合計四五一万円、株式会社椿産業に一九一万円をそれぞれ支払っているから、その合計額六四二万円を被告人の手数料収入から除外すべきである、(b)昭和六三年南八幡四丁目物件の取引に関し、被告人が松野高市から受け取った立退協力金合計一億円のうち、八〇〇〇万円を岡村龍男と辻村一郎の両名に立退交渉を依頼する形で支払ったほか、同様に五〇〇〇万円を真鍋佳朗に支払っているから、実際には三〇〇〇万円の損失となっている、というのである。

しかしながら、(a)については、正和建設及び株式会社椿産業に対し所論指摘の合計六四二万円が支払われたとしても、被告人の手数料収入の事実を秘匿するためにそれぞれの名義による架空の領収証を発行してもらったことに対する謝礼ないしは報酬であって、いわゆる脱税経費であると認められるから、経費性を否定すべきであるとし、(b)については、岡村龍男らに対して所論指摘の各金員が支払われた事実を認めることはできないとした原判決の判断は、関係証拠によりいずれも正当である。所論を採用することはできない。

四  受取利息収入に関する所論について

貸金による受取利息収入に関する所論の骨子は、要するに、原判決は、昭和六二年分の貸付額につき、小川三郎に対しては二億円、大山三郎こと姜三鎬に対しては二億六九〇〇万円、田久保一真に対しては二億二〇〇〇万円の合計約七億円を実際額よりも多く認定し、さらに、貸付の事実がないのに貸付金として一億六三一〇万円を認定した結果、受取利息額も過大になっており、事実の誤認が明らかである、というのである。

しかしながら、被告人側から各貸付先に貸付金額の水増しを要求した事実の有無に関しては、大山三郎こと姜三鎬本人に対しては同人が所在不明のため証人尋問が実施されておらず、裏付けがないほか、原審証人小川三郎は、水増しの要求を受けたことはないと明確に証言し、さらに、原審証人田久保一真のこの点に関する証言も甚だ曖昧なものに止まっている。そして、被告人がことさら貸金額の水増しないしは架空の貸付けを供述した事実が認められないことは先に説示したとおりであり、前述の経過で一連の被告人や関係者の貸金に関する各供述がされ、それぞれの最終的な検察官調書における供述に至ったもので、その信用性に疑いはなく、これらを基に詳細に検討判断した原判決の説示に誤りはない。貸付金額の水増しなどの事実を前提とする所論は失当である。

なお、所論は、貸付金の水増しが多過ぎて計算上の原資が不足したため、高松が被告人に架空借入を指示し、その結果、田久保茂からの一億八〇〇〇万円の借入を仮装することになったもので、このような架空借入を作出した事実は実際に貸付額の水増しがあったことを裏付けるものであると主張しているところ、なるほど、架空借入の事実を認める田久保茂の原審証言のほか、同証言に符合する原審弁五五ないし五九号証があり、被告人も一時、被告人自身が平成三年一一月に作成した借入金等に関するメモ(前同押号の一三・甲一九三号証)中の「田久5000」の記載については、それまでの説明とは異なり、田久保茂ではなく、田久保一真からの借入であると供述したことがあった(平成三年一二月二七日付質問てん末書・乙六九号証)ものの、被告人は、最終的な検察官調書で、明確に、田久保茂からの一億八〇〇〇万円の借入の事実を認めていること(平成四年二月二八日付検察官調書・乙三一号証)、そもそも、前述した客観的な調査の経緯等に照らして、査察官がことさら貸金額の水増しを要求しなければならないような事情を見い出すことができないことからすると、高松の指示により架空の借入金を作出したとの被告人の供述を信用することができないとした原判決の判断は相当と認められる。所論は採用することができない。

五  その他、税種の区分、貸倒れ損失、申告年度等について所論が単に原審弁論を引用すると述べることにより主張する点にかんがみ、記録を調査検討しても、原判決に所論指摘の事実の誤認があるとは認められない。論旨は理由がない。

なお、原判決四七ページ七行目に「仮に分離短期譲渡所得にあたるとしても」とあるのは、「仮に雑所得にあたるとしても」の明白な誤記であると認められ、また、原判決別表2の修正損益計算書(昭和六三年分)には、右欄の収入の部と左欄の支出の部の数字に一部合致しない箇所があるところ、「支出の部」中、総所得の当期増減金額欄記載の各「三億九七一九万九一五三(円)」は「三億九〇四〇万九一五三(円)」の、同差引修正金額欄記載の「四億四三八九万七六六三(円)」は「四億三七一〇万七六六三(円)」の、課税される所得額の合計の当期増減金額欄記載の各「九億二六七二万六七八六(円)」は「九億一九九三万六七八六(円)」の、同差引修正金額欄の「九億八五七一万一一〇四(円)」は「九億七八九二万一一〇四(円)」のそれぞれ明白な誤記であると認められる。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、平成七年法律第九一号による改正前の刑法二一条を適用して当審における未決勾留日数中二〇〇日を原判決の懲役刑に算入することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 香城敏麿 裁判官 森眞樹 裁判官 林正彦)

平成七年(う)第一〇三〇号

控訴趣意書

所得税法違反

被告人 高関昭二

頭書被告事件につき、控訴の趣意を左記の通り提出致します。

平成七年九月二一日

右弁護人 木幡尊

同 小野薫

東京高等裁判所第一刑事部 御中

原審判決は被告人・弁護人主張の殆ど全部を排斥し検察官主張を肯認したが、冒頭「序本件訴訟手続の概要」なる項を設け、要約すれば被告人は査察官調査段階、検察官捜査段階に於いてすべて公訴事実を肯認し、第一回公判期日に於いても冒頭手続きに於いて公訴事実を認め、弁護人は検察官取調請求の書証の取調に同意し取調を了した。而してその後被告人が保釈出所を許され、第二回公判期日から公訴事実を否認し争うに至った旨判示し、暗に被告人の豹変を難責しており、更にその後の被告人主張の若干の変遷を捉えて被告人不信の源としている感がある。然しこの点については原審判決には明らかな事実誤認もある。原審判決は「被告人主張の中に最初は興和産業・正和建設につきダミーでない旨の主張はなく、従って第四回第五回公判期日に於ける立証にはダミーでない旨の立証はなかった云々」と判示するが、第四回の公判期日に於ける被告人供述調書記載全体、特に四五丁裏等には明確にダミー利用でない旨の記載もある。興和産業もダミー性が懸念されるが、このことは当初から認めている。只、ダミーとは別に当該取引きに於ける正当な支払分を主張しておるものである。そのことは被告人の前記供述等にも現われており、横田証人の第八回公判期日に於ける証人尋問調書二丁表最後の行九丁表四行目に記載されております。又第五回公判期日に於ける被告人質問は貸金に関するものであり、不動産部分はない。

それはともかく本弁護人等は原審に於いて上申書第一乃至第四弁論要旨等に於いて被告にの主張を網羅しており、右主張を排斥した原審判決には事実誤認があり破棄さるべきものと確信致します。

その理由については、原審弁論要旨記載を基に原審取調証拠と対照しつつ申上げます。

第一、被告人の経歴・本件商取引きの実態等について

(一)、右は弁論要旨第一に記載した通りでありますが、特に弁護人が強調したいのはその(三)(四)に記載した被告人の本件取引き等に於ける取引実態であり、加えて何故被告人がわざわざ自分が不利になる供述をしたかについてであります。

Aと云う物件の取引きについて考えるに、被告人の他にabcd等が関与した場合abは買取りのため、cdは売却のため或いは被告人を含めてその資金繰りに協力した者等がある訳である。その場合仮に買取りの場合で云うと持主から買易い者を当てることが必要であり(例えば不動産屋には売らないとか、誰々なら売るとかである)、又資金繰りの関係で金を借り易い者を買手とすることもある。更に一旦買取ったが資金繰りの都合で、グループの中で資金繰りの出来る者に売却した形式をとって担保に借し物件を保持し(担保に出す関係で同人の所有としなければならない)最終的に誰かに売る場合もある。一連の取引に関与する者は多数人となり、その総括的役割を被告人が演じ利益を各分配したと云うことであります。

勿論本件では最終売主となる者(物件の買主でもある)が形式的に全利益を利得する恰好になり、被告人を含めて他の利益分を受けた者は領収書等発行しておらず税務申告もしてない場合が多く、法律的にどう理解するか若干の問題はある。その場合仮に売主名義人がダミーだとしたら誰のダミーになるのか、これも又仮に被告人のダミーと云うことであれば被告人が当人に渡した分はダミーとしての報酬と理解され、経費としては認められないとしても他の協力者に対して交付した分は当然経費として認めうるべきものと考えられる。関与者全体のダミーと解される可能性もあるが、この場合は名義人に対する分配金は関与者全体からの報酬金となり、従って被告人について云えばその中の被告人分だけが報酬として経費とは認められないから、実際上受けた利益+その分が課税対象となることになる筈のものであろう。

更に前記の場合最終売主名義人がダミーなる性質を有するであろうかも問題である。彼が取得する金は実質的には協同取引きから生じた利益分配金に過ぎない。従って本来なら各人が各利益分配金を取得として各税種に従い納税申告をして納税すればよい訳である。ところが各人が右手続きをしないで形式的には売渡名義人が莫大な利益金を得た恰好になり、その利益全体が被告人の利益所得であるとされたのが本件である。

然し、元来ダミーとは脱税を目的として取引きと無関係な当事者(売主)を作出する場合と解すべきであるから、本件の場合当初から脱税目的と云うのでなく被告人の取引慣行上、関与者の裡一人が売主名義人となったものであってダミーではないと思料される。

被告人は捜査段階で右の関係を説明し、自分の受けた利益は○○であり利益金はabcd等に各分配した旨述べれば別に問題はなかった。

それを恰もすべての取引きは自分個人の取引きであり、利益は自分に帰した如く説明したので名義人は当然ダミーとなり、名義人に交付した分もダミーの報酬とされた。何故そうなったかは本件取引等の実態が被告人を中心とし、被告人が恰も親分的存在で他の関与者は被告人から分配金を貰ったような感覚でおり被告人も左様な気分になっていたので、始めから全責任も又被告人が負うってくれるだろうと云う暗黙裡の了解とも云うべきものがあったに思われ、加えて査察官からの甘言、検察官の査察官に対する供述等をそのまま認めれば釈放してくれるのではないかと被告人が感受出来るような言動があり(後述)、被告人はすべては自分の責任にして了った。

(二)、然らば(一)について述べたことの証拠はいずれにあるであろうか、概括的には殆ど全証拠に散見するものであり、個別的取引内容を説明する際に各取引き毎に申上げますが、

イ、先ず取引実態慣行等については、被告人の第二二回公判期日に於ける供述調書二枚目表九行目からの弁護人の質問に被告人は「取り巻きの業者と云いますか、四・五人から一五人くらい業者が集まりまして声を掛け合いながらオール制と云う言葉で冗談混じりに皆で言ってたんですけど」と答えており、続いて取引状態を説明し三枚目表一行目からの弁護人の質問「関与する場合取引の当事者として関与するんですか、仲介者として関与するんですか」に対して被告人は「当事者の場合もあり、仲介者の場合もある」と答え、更に「その段階で一番お金に困っている人を順番みたいに形を取ってました」、更には「日常の話の中で今度はあいつじゃないかなというようなことでやってました」、続いて弁護人の「例えばAからBに売るんだけれども、中にいわゆるあなた方のオール制か何かの協力者、その中の一人を真ん中にCならCをAB間に入れてABC(A-C・C-Bの意味調書にはない)というふうな取引にするということはないんですか」との質問に「全部じゃありませんけど、かなりありました」と答え(三枚目最終行)その理由として弁護人の「要するにそれに関与した人たちが各々幾らかの収入になるような方法を取ったということですか?」と云う質問に「はい、そうです」と答えている(三枚目裏三行目から五行迄)。

阿部勝の第七回公判期日に於ける証人尋問調書一枚目裏後ろから三行目からの記載に明らかなように船橋市西船二丁目五二二-一-五までの土地取引きに阿部証人は関与しておるが、同証人が関与するに至った経緯等について同証人は一連の証言をしております。三枚目表に於いて弁護人の「その話というのはどんな話ですか」との質問に「そういう物件があるから買って、当時私もいろいろありましたもんで、ある程度儲かりそうなものだからパートナーとして仕事に入れてやるからやりましょうという話がありました」と答え、続いて同証人は「会社の方が失敗しまして倒産したものですから、ちょっと忙しい借金がありましてそれを解決するためにいろいろと皆さんが気を使ってくださって、仕事を一緒にさせてもらったわけです」とも答え、同調書の二五枚目六行目からにも同趣記載がある。

真鍋佳朗の第七回公判期日に於ける証人尋問調書七枚目裏八行目から同証人の証言として「結局地域住建さんが先ほども言いましたように、ピラミットの頂点になっておりましたので我々がほとんど毎日のように地域住建の本店のほうじゃなくて駅前店の営業のほうに顔を出していましたので、睦さんのほうからこういう物件がありまして金額的にこれで仕切ってあげるからあとはおまえたちで云々」なる証言が記載されている。更に九枚目表八行目からには「それが会長のほかの人と違うところで一応会長が仕切値を出してそれよりも高く売れたもんですから、その差額に対しておまえたちで分けろという形でやってくれたと思います云々」の証言もある。被告人の人柄も判ろうと云うものです。

間野実の第七回公判期日に於ける証人尋問調書四枚目五行目からも阿部さんが取引きに入った理由について、前記阿部証言と同種の証言が記載されており、その取引きで阿部さんが一番大きな金額四、〇〇〇万円を取得したことも記載されています(五枚目裏一行目から因みに高関被告人は二、七二五万円位の取得です)。川下博の第八回公判期日に於ける証人尋問調書七枚目一行目から「一一階のビルを作りまして分譲をしたり、テナントをしたりして経営に参画させていただけると、こういうことでございましたので」なる記載もある。

ロ、次に被告人が一人で責任をとるに至ったのは前記の取引実体慣行と表裏の関係にある訳ですが、若干の証拠を指摘致します。

第八回公判期日に於ける川下博の証人尋問調書(弁二一号証)一五枚表後ろから五行目から「高関昭二さんより前々から私がいただいておりましたが、税務署のほうから査察と申しますか、それが入りまして取調べになたわけでございますが、高関昭二さんのほうから君たちのほうへ分けたことは言わなくていいと、もらったということは言わなくていいと自分で処理するとこういう依頼と申しますか、話をいただきましてそのように申しました」。次に弁護人の「なぜ被告人はそのようなことを話に云ったんでしょうか」と云う質問に「何に関与しても罪は一緒だとこう申されました」と答え、更に続いての質問に「・・・・脱税行為に関与したものは何人名乗り出ても罪は一緒だと、自分一人でいいとこういうことであります」と証言しております。

又、横田巧の第八回公判期日に於ける証人尋問調書(弁二〇号証)の五枚目表、弁護人の質問に「いえ、当初は私が売買したものだと私なりに言い通したつもりですけれど、途中から国税の方で聞いて私のほうから尋ねたんですが、万が一にも会長の逮捕等はないだろうなということを念を押してましたところ、そういうことはないというので、また会長のほうからも国税のほうから逮捕がないというので、お前がかぶりきれないから私がやったことに全部合わしてくれと被告人から言われましたので云々」と記載され、被告人本人の二二回公判期日供述調書九枚目裏、他の人に金をやっているのに言わなかった理由を弁護人質問に答え「最初の約束どおり自分がかぶるつもりでおりました」と当然の如く言っております。その当初の被告人の感覚が判ろうと云うものである。更に被告人の第四回公判期日に於ける供述調書でも一六丁表で「いえ、打合わせじゃなくて、出さないという約束をしましたので」又「話合というより、もう当然そういうふうだと相手も思っていたと思いますので、そういう感覚でおりました」と述べております。尚、個々の証人尋問調書等全部に証拠は散見しておりますので、御検討頂きたく存じます。

ハ、査察官の甘言、査察官の取調べに於ける被告人に対する対応について

元々当初木村・守谷査察官の査察の段階では調査対象が南八幡四丁目一九三、船橋市西船二丁目、市川市大和田四丁目の三物件についてであった(被告人の第四回公判期日に於ける供述調書五丁表記載)ところがその調査結果どうなったかは不明であるが、査察が高松査察官等に変わった。そして前同様の査察が続けられ平成元年一〇月に至り高松査察官から「前回同様では調査がこれ以上進められない、協力してくれ」との趣旨の言葉があり(前回被告人供述調書七丁裏)その協力の意味が凡そ貸金のことと思われる筋があるが、貸金と不動産売買も又不動産売買による利益が貸金に廻ったと云う点では大いに関係があった。被告人は元々不動産売買については全責任を自分でとるような嘘を言って全利益を自分に集中していたが、会社の貸出資金の総額等との差額が大きく、当然数字が合わなくなった。それでも尚嘘を続けた理由として、前記供述調書一五丁裏には「起訴とか逮捕とかそういうのがないという段階では、もう全部私が背負うつもりでおりました」と記載されています。

果たして起訴とか逮捕しないとか本当に高松査察官は言ったのであろうか。前記被告人の供述調書一二丁最後から二行目からの弁護人の「で結局協力しろと言われたんで協力することになったんだろうけれども、そのとき何か引き替え条件みたいなのはあったんですか」と云う質問に、同供述調書一二丁裏一行目で「はい」、更に弁護人の質問に「起訴とか逮捕はないと言われました」「はい、それと六三年度これでもう調査するんだったら高松さんやり過ぎだよと私が言いましたら、国税はそんなすけべじゃないと言われました」と答えており、そのことについては続いた同趣の供述記載もあり、そんなこともあって査察官と被告人・参考人との査察は和気あいあいの間に進められた。被告人はそんな訳で前述供述調書記載の通り益々取引きの実態を明らかにすることなく自分一人で責任をとる積もりになった。

以上の経過で査察官のてん末書等は作成されたものである。然し「査察官の協力してくれ」の基本的部分は不動産取引きに於ける被告人の嘘による収益が大き過ぎるため(他への交付金を言わないので)査察官が調査し計算した被告人の所持金運用金の総額(貸金等)と合致せず、その金額の差が大きかったためそれを埋めるにつき協力を求められたものと思料され、このことは後述致します。

高松査察官が被告人に協力を求めたときにはそれが何回にも亘ったものと思われ、その都度違う人である場合もあったようであるが、被告人の第四回公判期日に於ける供述調書一二丁によると、被告人の他浮谷・横田・古谷・横山・真鍋等の人々がいたことが判り、各人の証人尋問調書を見ると横田巧の第八回公判期日に於ける証人尋問調書五枚目表に本人自身国税の担当官に会長(被告人)の逮捕がないことを念を押したし、会長の方からもそのように言われた趣旨の記載がある(前に援用)古谷勇の第一二回公判期日に於ける証人尋問調書四枚目三行目から「結局簡単に言ってしまえば数字合わせなんです。例えば高関さんにこれだけの収入があってこれだけの金融をやったと、そういうあれを数字的に合わせなければならんと、だから例えばAさんの貸付けが幾らで、利息が幾らぐらいだったとか、そういうあれを全部表にして作ったんですよね、その表を作るのは私ともう一人いたんですけれどもそれで作りました」と答え、もう一人の女性とは横山であるとも述べております。

又前後しますが、三枚目後ろから四行目弁護人の「国税局の人にはどこで調べを受けました」と云う質問に「私はその金融に関しては調べられたというよりも、協力を求められました」と答えている。更に五枚目後ろから三行目から「それは高関さんとの話合いとか、それからほかに例えば浮谷君とか何人かの人の要するに私が深くかかわり合う前の記憶に基づいて作ったことは事実ですし、それと国税の方がもうこれはおしまいだと、六三年はやりませんと六二年を協力してくれれば告発もしませんとそういう条件がありまして」と述べ、それは「高松さんが高関さんに言っていたんです」となっている。

横山かおりの第一八回公判期日に於ける証人尋問調書二枚目裏五行目から「大きくない事務所で比較的オープンにいつも話しておりましたので、一番記憶してる中では高松さんと佐々木さんが見えてから逮捕はしないという話はよくお聞きしました」と述べ、同後ろから三行目「六三年度分は調査しないというのもお聞きしました」更には三枚目表では実際でない架空経費一〇億円の内容を適当に書かされたこと等も記載され、四枚目裏三行目からは一〇億円の架空交際費の作成をふまえたものと思われるが「・・・・・・・その書類もやはり国税側のほうからこれを一応清書する形でということで私が書きました」なる記載もある。

浮谷範義の第二回公判期日に於ける証人尋問調書二枚目表後ろから二行目から「現地に来るようになってすぐ平成元年夏ころ協力してくれという話がありました」続いて同裏で「協力すれば被告人は逮捕されない昭和六三年分には手を入れないと言われました」そのときいたのは被告人と古家勇・横山の四人である趣旨も述べている。

ニ、検察官の発言について

この点は直接的には被告人が言われたことであり、被告人の第四回供述調書一八丁表四行目「たまたま倅の結婚式が一二月八日にありましたので結婚式には出られますかねって聞いたら、いやそれについてはちょっと間に合わないという回答でしたので、じゃ二週間位なのかなとそのときは思いました。」なる記載があり、更に弁護人の「・・クリスマスぐらいはどうかということを聞いたら、そのころはなんとかなるだろうみたいなことを言われたと言ってましたね。」と云う質問に「はい、それは言われました」と答え、一八丁裏に続いて三行目「それと正月の雑煮は家庭で食いたいだろうと言われました。」弁護人の「それで当然出してくれると思ったわけか」との質問に「はい」と答え出たい一心であったことが判り、一九丁表四行目弁護人の「一回でも本当のことを言おうと思ったことはないの」の質問に「何回もありました」と答え、弁護人の「どうして言えなかったのか」の質問に「その段階ではそれから先のことを考える頭がなかったと思います。混乱したんだと思います。」更に同丁裏で本当のことを言わなかった理由について「国税との話でまたここで何か言うと前の分が嘘になるということを考えました」と述べております。そして「前の分の嘘とは」と云う弁護人の質問に「話合いで作った資料を変更しなければなりませんので、言ったほうがまずいんじゃないのか」と答えておる。

要するに国税に対する遠慮も含めて出たい一心でその儘通して了ったと云うことと思います。

第二、不動産売買益に関する部分

(一)、本件は被告人が不動産売買益を独占したものと自ら査察官に話し、更に検察官にも右供述を維持したためその理由はともかく本件が紛糾する原因となったものであるが、その結果査察官の調査計算した被告人の取得額と同じく、査察官が調査計算した被告人の貸金運用現金、不動産買受支払代金等その時点に於ける被告人の総財産との差額が莫大となり、査察官としてはこの差額をなん等かの方法で埋め合わせ計算上合理的に合致する必要があったらしく、その後の貸金の水増、水増額が大き過ぎて今度は借入金の虚構をすると云う事態に至ったものと思料されます。

既に弁論要旨に於いて詳細に述べておりますが、本件で問題となっている取引きで昭和六二年分の被告人が査察官に話さなかった経費としての支払金の総額は別添別表1-1昭和六二年中の資金の入出金記載(国税局調査額、被告人主張額とを対照記載している)C欄網目部分記載の参億六千参百七拾壱万五千参百参拾弐円であり、同六三年分は、(別添別表1-2)同様別添別表昭和六三年中の資金の入出金記載C欄網目部分記載の六億九千七百七拾万壱千円である。右合計額が被告人に実際入金になっていないのに査察官は入金したことにしたので、査察官が調査計算した被告人の実際の債権・現金・不動産買取支払代金等の総額、即ち被告人のその時点での全財産額との差額が大きくそれをどう埋めて報告書数字を合致させるかは査察官の苦労の種であったようであります。

ところで、原審判決は被告人の公判廷に於いて述べた前記別表記載の真実主張をすべて排斥した。排斥の理由は当該経費等の支払を受けた各人が法廷に於ける証人として当該取引きにいかに関与したか、そして幾ら幾らの金員の交付を受けたか等詳細に証言しているのに拘らず、証人等はいずれも被告人と知合の間柄であり措信出来ないと簡単に一括排斥している(各証人はそのための証人であり、特にその部分を援用する迄もなく証言調書全体がその説明になっておる場合が殆どですので、特に援用は省略します)。

ところで、被告人等の取引慣行の説明で申上げましたように、被告人等のグループはお互いへの利益のため被告人の供述(援用済)の所謂オール制によった訳であるから、利益配分を受けた者は当然その中に加わっていた者であり、被告人と知合で親しい関係にあるのは当然である。親しい関係にあるから証言は措信出来ないと一括排斥した判断は極めて乱暴である。

(二)、具体的な取引きの内容等については上申書(一)(三)及び弁論要旨第二(一)(二)等に詳細に申上げており、その説明資料は第四回公判期日に於ける被告人供述調書に添付されております。

本件査察の経過については弁論要旨第二(一)に記載した通りであります。各取引きに於ける分配金の行先等については、既に上申書(一)(三)弁論要旨等に於いて主張した通りでありますが、特に問題となった複雑なものについては若干補足説明致します。

イ、第四回公判期日に於ける被告人供述調書添付の説明資料1-1・頁記載中央圖面記載の物件は、かねて被告人等に於いて(浮谷・内田・真鍋・川下・横田)昭和五五年頃、一括地上げしてそこに株式会社地域住建ビルを建築しテナントを入れて経営しようとしたものであった(第四回被告人供述調書二四丁裏、その他援用済の川下証言等)。

然し前記圖面白色部分の地上げが出来ないため最終的に地上げ出来た部分だけ松野高市に売却したものである(説明資料記載の通り)。その際、買受物件を株式会社地域住建に所有権移転登記する前に有限会社興亜産業を入れている。これが当初の守谷査察官の調書時点で査察官てん末調書がダミーとして記載された取引である。

先ず有限会社興亜産業を入れた理由について被告人は右会社は前記圖面eの建物(三階)に入居しており、被告人等は同社に約一億円の立退料を支払うことになっていたので、その支払金を有限会社興亜産業におとすために入れたと説明している。査察官調査の際、被告人はダミーなる意味が判らず守谷査察官の経費を認めるとの説明を額面通り支払額全額を認めるものと誤解し、そんならダミーでもなんでもよいと思って認めた旨述べている(第二二回被告人供述調書四枚目表後ろから二行目から同裏同四五枚表)。ところでこれが一番問題な訳で原審裁判長も査察官がダミー経費を認めると云う訳がないと疑問を持つ。これは被告人がダミーなる言葉を知らなかったこともさることながら、被告人・査察官間の意思の齟齬であろうと思われる。被告人は査察官に有限会社興亜産業に立退料を支払うことになっていたので同社を中間に入れたと説明し、その金額が一億円であると述べた。査察官はいずれにしても有限会社興亜産業は取引きに関係ないからダミーであるが、被告人が本当に有限会社興亜産業に支払うべき立退料は経費として認めると云ったものと思われる。それならば理解出来る。ダミーとなったからと云って当然支払って貰える筈の立退料は有限会社興亜産業は貰って然るべきであろうし、支払側も正当な支払いであり経費として認めて貰えるものと思料致します。只、有限会社興亜産業の場合被告人は同社に一億円の立退料を支払う筈であったと主張するに対し、有限会社興亜産業の代表取締役横田巧は立退料だけなら六、〇〇〇万円位が相場だったと証言している。従って少なくとも六、〇〇〇万円は経費として認められて然るべき金額とも思われる。

いずれにしてもこれがきっかけで正和建設の場合も実際の事情は全く違うのに、被告人は只単に経費として認めてくれるならダミーであろうと、なかろうと同じだと云う感覚でダミーと認めた由である(第二二回被告人供述調書六枚表三行目から、弁護人の「どうしてダミーということになったんですか」の質問に「興亜産業の横田に対する一億円を経費として認めるということと、正和建設の方の西船二丁目・大和田四丁目なんですが四、〇〇〇万円と四、四〇〇万円だったと思うんですが、それも認めるということでダミーと云う言葉は国税の守谷さんのほうでこういう形だからダミーでいいだとうということを言われまして、変わらないんなら内容が同じなら結構ですということでサインしました。」と答え、続いてダミーなる言葉が査察官てん末書に記載される迄の経過を八枚目裏迄に記載されております)。

有限会社興亜産業の場合も被告人は簡単に一億円の支払いをするために中間に入れたと思っていたが、他の人々に対する支払金を言わなかったため全利益が有限会社興亜産業の所得とされ課税されるに至り、有限会社興亜産業は若干の税金を支払った(横田巧の第八回公判期日に於ける証人尋問調書二枚目裏五行目から終り迄、立退料の額につき三枚目裏二行目から五行目迄)。(前記横田巧の証人尋問調書四枚目表五行目から同証人は弁護人の質問に「はい、当時川下さんとか真鍋さんとか会長の周りにいた人間、地上げしていた人間とかいろいろな人間で金額ははっきり覚えていませんけれども、分配していたということはよく覚えております」と答え、同枚目後ろから三行目から弁護人の「そういう金をひっくるめて、あなたが結局みんなもうかったという恰好で申告するという約束になったわけですね、一括して」と云う質問に「はい、そうです」と答えております。尚、貰える立退料につき八枚目表最後の行から裏三行目迄に六、〇〇〇万円位の趣旨が記載されている)。

結局この場合は有限会社興亜産業が結果的に所謂ダミーであることは税法上止むを得ないとしても、一億円全額がダミー報酬とはならず正当な立退料部分の支払は経費たるものと思料する。(守谷査察官もその旨を当初被告人に話したものと思料する)。又仮に一億円から正当支払分六、〇〇〇万円を控除した場合四、〇〇〇万円は被告人だけの負担になるのか、他に分配を受けた人々と按分比例して被告人負担分が決まるのかとも思われ、若干の問題を含むとも思料致します。

右の意味で前記説明資料1-1・05赤枠内の数字も自ら変更されなければならない(売却費等の経費が色分けされて記載してあるのは、検察側が個々の物件取引毎に分けて三分していたので、それにならって三分し按分比例して分けたためである)。即ち有限会社興亜産業に対する一億円の裡六、〇〇〇万円が経費となるとして計算しなければならないし、勿論他の椿産業・浮谷範義・真鍋佳朗に支払った分は事実その通りであるので、当然経費の支出たるものである(関与の内容は被告人の供述調書、各人の証人尋問調書に記載され、勿論授受した金額も記載されている)。

ロ、昭和六二年説明資料1-1・02圖面黄色部分は小澤徳子関係であるが、小澤徳子と古谷勇は内縁関係にあり小澤徳子が古屋勇でなければ売らないと云うことから、同人に依頼し同人が買主となったものである(古谷と小澤の関係については被告人の第四回供述調書三六丁四行目から同三七丁表迄、古谷勇の第九回公判期日に於ける証人尋問調書一枚目裏四行目から、岡村龍男の第一〇回公判期日に於ける証人尋問調書二枚目表後ろから3行目より同裏及び三枚目表等)。この取引きでは古谷勇が買受名義人となり松野高市に売った際二億円を取得しておる(古谷の第九回公判期日の証言調書四丁表三行目から弁護人の質問に「・・・・うち二億円を私にくれるという形です」続いて「ではあなたは二億利益をもらったことになるの」との弁護人質問に「はい」と答えています)。(原審判決は本文に於いて古谷勇をダミーとしているが、計算書では二億円の支払いは売却費として経費支出を認めている)。ところでこの取引きでは小澤徳子に裏金二億六千五百万円が支払われており、昭和六三年上申書説明資料1-10赤枠部分に記載されているが、被告人の第四回供述調書三三丁表三五丁裏迄にも記載されており、尚、右二億六千七百万円の内訳は二億円が現金を支払うべきところ現金がなく、被告人の借用書を渡し利息金を支払っていた(壱億円の借用書を昭和六三年四月一五日交付し同年九月現金支払い、その際又一億円の借用書を差入れ利息金を支払っていた)。残六千七百万円の裡、壱千万円が小澤徳子の新所有建物の登記料・保険料等として支払い、五千七百万円は京成建設の内装費を被告人が立替支払った(川上捷一郎の第九回公判期日に於ける証人尋問調書全部)。

右は小澤徳子所有物件は古谷勇が買受人とならなければ買取れないので同人を買受人としたものであり、弐億円の売買差額金も前述の如く同人の所得となったものであるから、同人がダミーたる理由は全くない。

ハ、次に所謂西船二丁目物件、大和田四丁目物件について正和建設株式会社(代表取締役阿部勝)はダミーとされたのであるが、両取引きに右会社が関与した経過は第二(二)に於いて述べた通りである。決してダミーではない。その関係はすでに援用した証拠もあるが、詳しくは前者については第四回被告人供述調書四〇丁裏二行目から四四丁裏迄に、後者については同四六丁表から五〇丁裏迄に記載されており、前者については昭和六二年説明資料1-2記載の通り被告人の所得は二、七二五万円であり、正和建設が四、〇〇〇万円である。この取引きでは被告人は分配金として一旦四、七五〇万円受領しているが、地域住建との協同購入に協力してくれた(資金不足のため)共同建設の実力者間野に二、〇二五万円交付したので、結局二、七二五万円であった(間野への交付金は国税でも認められている)。

仮に被告人が自分だけの取引きであれば四、〇〇〇万円+二、七二五万円、計六、七二五万円の所得になるが、納税と云うだけの観点から見れば六、七二五万円の所得として申告しても最高税率で計算し税引所得が二、七二五万円を上廻り、更に二、七二五万円に対する所得税を納付する必要を考えれば、被告人は前記により脱税どころか税引実質所得は遥かに少なくなる。

後者については第四回被告人供述調書四六丁裏から五〇丁裏迄に詳しく述べており、昭和六二年説明資料1-3枚目記載の通り右取引きでは正和建設四、四〇〇万円・浮谷五、〇〇〇万円・真鍋佳朗二、〇〇〇万円各取得している(浮谷第三回証人尋問調書一一枚目裏一二枚目表、真鍋第六回証人尋問調書二三枚目表から同裏各記載四、四〇〇万円正和建設に交付されたこと自体は国税当局も認めている)。

ニ、株式会社トーエーリアルエステート(以下トーエーと称する)の代表取締役は伊藤彪であるが、同人と被告人との関係については同人の第六回公判期日に於ける証人尋問調書によると、要約すれば「以前から知っていたが六二年頃たまたま千葉の喫茶店で会い、車で送って行く途中商売の話を聞かれ余りうまく行かないと話したところ、じゃあ毎日うちの方に来てろと言われ、それから地域住建駅前支店に毎日のように行っておりました」と云うことのようである(前記調書二丁目裏九行目より)更に不動産業界の慣行につき三丁表後ろから五行目から、要旨「不動産業界というのは横の連絡はなく、縦社会でグループ毎に仕事をする」と述べ、要するに被告人のグループに入れて貰った趣旨を述べている。

昭和六三年説明資料1-11記載の取引きは同資料に記載されているように長生商事からトーニーが買って太陽興産有限会社と株式会社地域住建に売った取引きですが、これが検察側から被告人のダミーとされたものである。然しトーエーはダミーではない。そもそも前記取引きは元来被告人関係取引きの中で小澤徳子さんに代替物件をやる必要があり、それを探しているときトーエーの伊藤社長はそれを知り同人の友人でもある真鍋さんと一緒に代替物件を探すことになり、トーエーが長生商事の物件を買取ったものである(勿論それは以前に被告人から探してくれれば買取るとの了解は得ていた)。そして地域住建に売る筈であったが、同社が資金不足で太陽興産と共同で買うと云うことになり両者に売却した。右取引きで表面上のトーエーの利益は八、〇〇〇万円であった(国税側はトーエーが裏で売主に五、〇〇〇万円支払ったのを知らないので、利益は一三、〇〇〇万円としている)。その裡三、〇〇〇万円を真鍋に交付したのでトーエーは実際は五、〇〇〇万円の利益であった。被告人は利益を受けていない。

次に千葉市幕張五-三九四-五他の物件についてもトーエーが被告人のダミーとされているが、これもダミーではない。被告人が元々睦建設から買って所有していた土地を建国に売り、建国がトーエーに売ってトーエーが西宮に売ったものである(昭和六三年説明資料1-13)被告人は建国から先の取引きには全然関係がない。トーエーは建国から買って西宮に売って荒利益四三三二一、〇〇〇円あり、その裡共同者真鍋に一、五〇〇万円地域住建が売るときの仲介したので手数料三九六万円支払ったので、実際の利益は二四三六一、〇〇〇円であった。

更に船橋市飯山満二-三六〇-七他の物件も被告人は全然関係ない。この取引きでトーエーは二、二五〇万の荒利の裡、共同者真鍋に一、〇〇〇、万円を支払ったので実際の利益は、一、二五〇万円である。

以上トーエーの三物件の取引きには被告人は全然関与していない。何故被告人の取引きとされたかは第六回公判期日に於ける伊藤の証人尋問調書五丁表から記載されており殆ど全部に亘りますが、要約すると「伊藤の前記利益の裡八、〇〇〇万円を被告人の口ききで大山三郎に貸した。ところがその八、〇〇〇万円は返らず伊藤としては利益金は正確に納税申告したので税金は支払わされるし閉口していた。結局大山三郎に貸したのは被告人の口ききだから、被告人に責任をとって貰いたいと思っていた。たまたま被告人が逮捕される前日被告人とスナックで会った際、被告人に伊藤はこのままじゃ私の方も税金だけかぶるようになるので、会長の方で何とか処理して貰えませんかと頼んだ。被告人は逮捕されるとは思ってなかったが最終的にだめなら(大山等の金)おれが全部使ったことにする、と言った。被告人が逮捕され検察庁に呼ばれた、又家宅捜索も受けた。伊藤は自分は納税申告もし税金も遅ればせながら払っているのに不審に思った。検事さんのところに行くと検事さんはびっくりしたろう、物件一覧表を見せられ高関が言ったんだと言った。そしてどうなんだ、と言うので、若しかしたら会長は大山三郎に貸した分だけ全部かぶってくれるんだなと思って、検事の早くしないと高関も大変なことになると云う言葉から検事さんの云う通りにした」と云うことの様であります。既に述べた取引きの他前記一覧表記載の栄町物件、即ち被告人が馬場内実から買ってトーエーに売りトーエーが金徳順に売った際もトーエーと金徳順の取引きには被告人は全然関係がない。同八街町物件即ち地域住建と太陽興産が持っていた各隣接地をトーエー一括して買取り株式会社広田商店に売ったもので、これにも被告人は全然取引きには関係がない。

これ等の取引きが被告人の取引きとされたのは前述伊藤の証人尋問調書記載の通りであるが、証拠としては被告人の第四回供述調書五四丁裏から五五丁表、同裏一行目迄記載(被告人は買主である西宮とは全然面識もない由)同五八丁表裏記載、五九丁表には逮捕される前日伊藤と会った事実記載(六〇丁表裏迄続く)真鍋の第六回証人尋問調書一三丁表二一丁裏迄記載等々である。

(二)、不動産取引に関する手数料等の裡、主たる問題点について

イ、昭和六二年分の手数料は国税側は総計一、八四二万円あったと主張するが、被告人主張は一、二〇〇万円である。その詳細は昭和六二年説明資料1-9に記載してあります。証拠としては被告人第四回供述調書五六丁裏四行目から五七丁裏迄記載。川下博の第八回証人尋問調書二〇枚表三行目から同裏及び三枚表迄記載(株式会社椿産業分)。阿部勝の第七回証人尋問調書一一丁裏八行目から一二丁表後ろから二行目迄(松戸市高塚新田分)同一二丁表最後の行から同裏一三丁表五行迄(市川市市川土地建物の件)同一三丁表六行目から最後迄(船橋本町二丁目土地建物)等々記載されております。

ロ、昭和六三年分の手数料は国税側は合計一億円とするが、被告人主張はマイナス三、〇〇〇万円である。

右は松野高市から立退協力金として被告人が一旦一億円の交付を受けたが、被告人自身ではゴネる者が居って解決出来ず福日観光の岡村龍男・辻本一郎の両名に立退交渉を依頼する形で合計八、〇〇〇万円交付し(岡村龍男の第一〇回証人尋問調書二〇丁表後ろから二行目から同裏二行目迄記載)同様真鍋に五、〇〇〇万円交付している(一旦真鍋に七、〇〇〇万円交付し、その中から真鍋が辻本に二、〇〇〇万円交付している)(真鍋の第六回証人尋問調書一〇丁表裏一一丁表裏記載)結局前述の如く被告人は三、〇〇〇万円のマイナスとなった。

第三、貸金について

本件では既に不動産取引きの部分で述べた如く不動産売買益等で被告人に帰属しないのに、被告人に帰属したとされた利益金は昭和六二年分同六三年分を合計すると一、〇六一、一一六、三三二円となる。高松査察官が調査した時点でどうしても右に見合う被告人の財産は発見出来なかった。これにより所謂数字が合わない、協力してくれと云うことになる。以上についてはすでに原審裁判所で取調べられた証拠を援用済である。当初高松査察官は架空交際費約一〇億円を書き出させた。そのとき書き出させた約一〇億円の交際費一覧表は証拠として裁判所にも提出されている(てん末書末尾に添付)(立証趣旨不明)。然し幾ら数字合わせしても一〇億円の交際費は過大に過ぎ、常識的に合理的数字として報告不可能だったと考えたものらしく、貸金の水増により数字合わせをすることになった。

(一)、別添表1-1・同1-2は昭和六二年と同六三年の全体の金の流れについての説明であるが、国税側主張と被告人側主張を併記しその差額を算出したものである。不動産売買及び手数料所得については<6>及至<10>迄であり、その合計がC欄に記載されている。要するに昭和六二年分で説明すると国税側は不動産に関する被告人の入金は九九〇、二〇九、三六一円と計算するに対し、被告人側は六二六、四九四、〇二九円である。従ってその差額は三六三、七一五、三三二円となる。同様に計算すると昭和六三年分の差額は六九七、四〇一、〇〇〇円であり、両方を合計すると一、〇六一、一一六、三三二円となることは既述の通りである(別紙2記載登記料等があり端数は異なる)。この差額をどうして埋めるかが査察官の心痛の種だったらしく協力の話が出たことも既述の通りである。

高松査察官は証人として水増する何等の理由もなかったと証言しているが、これは明らかに偽証である。右の差額を前提として当初交際費で埋める方法も検討した模様であるが(証拠援用済)、結局貸金の水増で数字を合わせたものである(この時点では被告人は分配金の交付を述べてないので、査察官の計算はそれ自体止むを得なかったものとも思われる。即ち当然あるべき筈の金が足らないと云うことになる訳である)。

(二)、水増分は昭和六二年分について別紙3に記載した通りであり、水増分の架空受取利息金を差引くと五五六、九六八、七七一円となりこの分が出金計算となる。それに事実誤認分による(貸付けてないのに貸付けたとされた分で水増分とは異なるもの)の貸付金一六三、一〇〇、〇〇〇円があり、それから右金員に対する架空受取利息を差引き前後合計すると五五六、八一七、二九一円の架空出金が計算される。

ところで、別表1-1のC欄網目記載三六三、七一五、三三二円は昭和六二年中に於ける売買等の入金に於ける国税側主張と被告人主張との差額金であるが(分配金をやったのを被告人がかくしていたため)、元来昭和六二年分については右金員の穴埋めをすればよかったのに、前記の通り五五六、八一七、二九一円の出金を架空計上したので、今度はその差額一九三、一〇一、九五九円不足となる。それが昭和六二年時点で田久保茂から一八、〇〇〇万円を借りてないのに借りたことにされた理由と思われる(田久保から昭和六一年五、〇〇〇万円、昭和六二年一三、〇〇〇万円借りていることにされた。弁五八号証記載)。

そして昭和六三年中に不動産売買等で被告人が実際所得してないのに所得された金額は別紙1-2C欄網目部分記載の通り六九七、四〇一、〇〇〇円であるが、国税側は右金具についてはその侭手許に残っているとして計算している(別紙1-2F欄網目部分記載、尚双方金額の差はA欄網目部分記載の通り一三、〇七三、〇〇六円の増加があるからである。同欄は出金を書いているのでマイナスは逆に増えた分となる。)ところで手許の何処に残っていたのかは国税側はなん等明らかにしていない。元々無いものであるから存在を立証することは出来ない筈である。

本件査察官は昭和六三年一二月八日開始され、あらゆる帳簿等の押収もあり捜索も勿論あったのであるから、昭和六三年一二月時点で、前記約七億円の手持金がなかったことは十分承知している筈である。

(三)、各水増の証拠について

イ、小川三郎について二億円の水増があった。同人に横田を通じて昭和六三年に有限会社三啓振出の約束手形及び小川個人の約束手形を徴して二億円を貸付けたが、国税側は有限会社三啓と小川とを分け小川振出の手形は振出月日記載してなかったので、昭和六二年に右手形により小川に二億円を貸したことにし、有限会社三啓には昭和六三年に同じく二億円貸付けたことにした。被告人第二二回供述調書二四枚目裏四行目弁護人の質問「ところで小川にあなたが直接貸したことはないんでしょうか」に対し「ありません」と答え、二五枚目表一行目弁護人質問「小川はその二億円借りるとき、横田に手形か何か持ってきてますか」に「小川三郎の個人の手形を横田のところへ持っていったと思います」と答え、次に弁護人の「そのほかに手形は持ってきてませんでしたか」に「はい興亜の横田の話では小川三郎じゃ危ない、何か保証手形をもらってくれということで三啓という会社の二億円の手形も同時に受取りました。」又二五枚目裏三行目から弁護人の「小川にも二億円貸したということになってるの」に「小川の二億円は六二年に貸したことに数字合わせました」同八行目弁護人の「小川三郎の個人の分は六二年のほうに持っていったわけですか」に「はい」続いて弁護人の「そうすると実際は小川には二億円、そのうちあなたの出した分は一億円しか貸してないわけね全額で」に「はい」と答えております。

被告人の第五回供述調書二五丁から二六丁二行目迄、四五丁裏後ろから六行目七行目その他に散在している。

小川三郎の第一八回公判期日に於ける供述調書では余り判然り覚えてない趣旨を証言しているが、五枚目裏後ろから五行目から弁護人の「総額どのくらい借りたかということはどうか」に「一億か二億そんなもんだと思いますけどね」と答えています。横田の第一五回公判期日に於ける証人尋問調書五枚目裏九行目から「調書は六二年度の小川三郎の貸借の件を会長が聞きましたところ、六二年度にはそういう記憶が私一切ないんで間違いなく貸借あっても六三年度だと思うんですが」六枚目後ろから七行目から弁護人の「いずれにしても六二年には高関会長からあるいはあなたを通じての直接の貸金というのはないんですか」に「はい、ないと思います、断言できます」と答えており、小川三郎には昭和六三年の二億円しかないことを断言しております。

水増を小川に頼んだかどうかについては被告人の供述と若干異なるが、査察官を小川のところに連れて行ったことは認めている(四枚目裏五枚目表等記載)次に同五枚目後ろから二行目からの弁護人の「ところがそこへ行ったら小川は国税の調査官に六二年にもあったということを言ってたんですか」に「私もこの前会長からそういう調書はあったんだということを聞いてびっくりしたんですが、何でそんなことになったのかちょっと信じられませんでした」と答えておる。その他横田の前記証言調書全体に含まれています。

ロ、大山三郎こと姜三鎬については二六、九〇〇万円の水増がある。然し大山三郎は逃亡のため行方不明で証人尋問は不可能である。結局大山三郎に対する実際の貸付は一八、五〇〇万円であるが、四六、五〇〇万円貸したことにした。その経緯については被告人の第二二回供述調書二九枚目裏三行目から三〇枚目裏後ろから三行目迄に記載されておる。被告人が直接大山三郎に頼みあらかじめ被告人が高松査察官と打合わせた水増分のてん末書を作成し、それを持って高松査察官を大山三郎のところに連れて行き、高松査察官がこの通りかと云うことで大山三郎のてん末書が作成された。被告人の第五回供述調書一八丁裏五行目から二〇丁裏四行目迄記載。尚、この点は椎名真一の第一八回証人尋問調書にも記載されている。

ハ、田久保一真には実際は五、五〇〇万円しか貸してないのに全部で三億円の貸金に水増した。その経緯については被告人の第五回供述調書二三枚目表三行目から弁護人の「それで田久保一真さんのはどういうふうにして合わせたんですか、いわゆる田久保一真さんの場合は幾ら水増したんですか」に「二億前後だったと記憶してます」弁護人の「二億四、五〇〇万じゃないんですか」に「・・・・・」「はっきり覚えない」に「何しろ三億円という形だけ覚えておりますので」「約三億ですか」に「ええ、三億円を貸したことにしたのだけ記憶しております」「実際貸したのはなんぼだったか知ってますか」に「五・六千だったと思ってますが」と答えており、供述は続きます。水増を田久保一真に頼んだ経緯については二三枚目裏五行目から弁護人の「このときはどうなんですか、その話を現実に田久保さんにあなたが話したんですか」に「事前にしました」「田久保さんのところに行って」に「ええ、田久保のところに行って事前に話しました、国税の高松さんを連れてくるので言われたとおりにサインしてくれという打合せをしました」「高松さんが言ったとおり承諾のサインしてくれというふうにあなたが田久保に頼んだのね」に「はい、高松さんには約三億の貸金があるというふうな、いわゆる調書か何かをそれ以前にあなたは作ったわけね」に「そうです」と各供述しており、田久保一真の第一三回証人尋問調書一枚目裏四行目から弁護人の「あなたは被告人が国税庁から査察を受けたときに、査察官に会いましたね」に「会いました」「そのとき調査官と被告人が一緒にきましたか、あなたのところに」に「はい」「その調査官が来る前に被告人からあなたにあらかじめ電話か何かありましたか」に「はい」「どういう電話がありましたか」に「全部認めてほしいと」等々と証言し、二枚表六行目弁護人の「その認めてほしいと言われた金額は幾らくらいだった、今覚えてますか」に「そうですね、何か三億ぐらい、よく覚えていないんですがね」と証言し、記憶は鮮明でないが水増があったことは明確に証言している。

ニ、本件で水増を証明する証拠として特異な存在は田久保茂からの架空借入れである。この点は第三(二)に於いても述べたが貸付金の水増が多過ぎたため計算上の原資金不足となり、高松査察官は被告人に何処からか架空借入れを指示し、それが田久保茂からの借入れとなった。架空借入れであったこと自体は同人が第一七回公判期日に於いて詳細に証言している。而もその際同人は弁五五・五六・五七・五八・五九の各書面を携帯しており、原審裁判所に前記弁証として提出してあり全くの架空借入れであることを証言しております。然るに原審判決は六四頁三行目に於いて田久5000の記載に籍口して同人から真実に借入金があったであろうと認定している。ところで原審判決は右は被告人の供述から考えられる旨説示するが、この点については被告人は一旦間違った供述をしていたが、平成三年一二月二七日付査察官作成のてん末書調書に於いて明白に訂正し、前記は田久保一真からの借入れである旨述べている(査察官調書にも被告人が田久保一真に利息金二、八八〇万円支払った旨の記載もあり、田久保一真は金融業者であって借りたり貸したりしていた)。

要するに田久保茂からの架空借入れの作出が本件のすべてを物語っているものである。

第四、その他

(一)、申告納税済分の税種については結果的に間違っていると思料するが、被告人は全然納税申告手続きにタッチしておらず、被告人の犯意は認められないものと思料する。弁論要旨等に於いて主張した通り。

(二)、貸倒れ損費についても弁論要旨に於いて主張した通りであり、被告人の如くその後税務申告すべき所得のない者は税法上救助する道がない以上、本件判決時迄判明したものは認められるべきものと思料する。

(三)、申告年度に対する弁論要旨記載主張が通らなければ、国税側の一貫性に疑問が生ずる。

(四)、原審判決は有限会社興亜産業に対する一億円、正和建設に対する五、九五一万円、椿産業に対する一九一万円の交付自体は認めている(合計一六、〇四二万円)。

従って右金員は被告人の所持金から控除さるべきところ、別紙1-1表C欄記載の九九〇、二〇九、三六一円の数字は、前記合計金一六、〇四二万円を被告人の所持金として計算している。そうすると前記別紙F欄には余剰金一五九、七六〇、三三五円と計算されるが、実際は前記一六、〇四二万円は所持金となる筈のない金であるから金剰金はその分だけ差引かねばならないので、結局マイナス六五九、六六五円となる。結局それだけの資金の不足となる筈である。

(五)、昭和六二年分・同六三年分の国税側主張の税額と同じく被告人主張の税額との差額は別紙4の<25>欄最後に記載されている通り一、〇六三、〇〇二、七三八円となる。

ところで別紙2に記載の通り昭和六二年分・同六三年分の取引関与者に対する利益分配金及び被告人の取引きと誤認された取引利益分等を合計すると一、〇六三、八八一、〇〇〇円であるから、元来分配金等を正確に言ってさえおれば不動産取引に関する所得については取引き名義人を誰かに定めて脱税を計る程のメリットはなく、従って計画的に右を進めたとする国税側主張には根拠がない。

(六)、別紙等の説明

イ、別紙1-1の国税局調査額欄記載数字は、起訴状添付の修正損益計算書を検察側提出諸証拠と対照して算出した資金出入であり、基本的に検察側主張の通りである。

被告人主張額は弁論要旨添付の添付書面を基に資金出入を記載したものである。国税局調査額より被告人主張額を差引いた双方対立する金額欄記載数字は双方主張の差額を出しているが、貸倒等による出金欄がマイナスになっているのは被告人主張が国税局主張より多額であるため、現実に金がないのにその差額分だけあることになり出金としてはマイナスとなる。以下同じ。

別紙1-2も同じ。

ロ、別紙2は表題記載の通り。

ハ、別紙3も表題通りであるが必要とされる資金欄記載は水増したので、仮に小川三郎の場合で云うと二億円の水増であるから資金計算上は二億円必要になるが、同水増貸付による受取利息が三、七〇〇万円計上しているので差引資金の必要は一六、三〇〇万円となる。即ち被告人が一六、三〇〇万円持っていなければその貸付は出来ない訳である。

以下同様。

二、別紙4は表題通りであり国税局調査額は起訴状記載の通りであり、被告人主張額は弁論要旨添付書面の通りあるが、差額は昭和六二年分同六三年分の合計である(双方主張に申告期に争いがあるので、二年分を通算した)。

以上控訴の趣意を申上げましたので貴裁判所に対し原審判決破棄の上、公正なる御判決を御願い申し上げます。

別紙1-1

昭和62年中の資金の入出金(修正損益計算書を基に国税局提出の証拠に沿って、被告人主張との対比を表とした。)

<省略>

別紙1-2

昭和63年中の資金の入出金(修正損益計算書を基に国税局提出の証拠に沿って、被告人主張との対比を表とした。)

<省略>

別紙2

<省略>

別紙3

<省略>

別紙4

昭和62年・63年分修正申告額の対比

<省略>

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